続・コンピュータとラッダイト運動

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前回の記事をアップした後、Twitter上で「山本はプログラマだからそういう意見が言えるのだろう」「変化を受け入れろというのは強者の意見ではないのか」という趣旨の発言を見た。確かにそういう一面があることを私は受け止める必要があるだろうが、ここでは、一度皆さんに以下の記事を読んでもらいたい。

豊かになる意味 - Chikirinの日記

経済発展して何の意味があるのか、という問い。人は本当に経済発展と共に幸せになっているのか?という問い。便利なものはなかったけれど、昔の方が幸せだったのではないかという疑問。「これらの疑問や問いは、強者が感じるものなのだ」と気がつきました。階段がなんなく上れて、車やバイクで大混雑している街でも移動に困らない、そういう人だから「贅沢では?」などと思うのだということを理解したのです。

このブログ記事では経済発展について書かれているが、技術の進歩についても同じことが言えるのでは無いだろうか。技術やコンピュータが発展していくことにメリットを感じない人こそが「強者」ではないだろうか。 

少し話が変わるが、クローン人間を作ることは現在の日本の法律では禁止されている。もちろん皆がそれを選んだというならしょうがないとも思うが、果たしてそれはクローン技術があれば助かる命の重みは考慮に入っているだろうか。最近、私の友人に子供が産まれた。どうやら少し良くない状況のようだ。その子を治すのは倫理観ではない、技術だ。

 技術やコンピュータの発達はこれからも進んでいくだろう。それを上手に使うことが、これからの私達の問題ではないだろうか。失われていく価値観を嘆いてばかりいてもダメだ。電王戦の結末こそが今後の社会のモデルケースになるよう、私は頑張っていく。